
10歳の生業~半世紀を生きた男の道~

わたを少年(10)は腹を空かせていた
家にはいつも大人が居なかったため
チャーハンなど簡単なものは自分で調理した
(赤いウインナー入り炒飯)
やがて少年はお金を稼ぐため自転車で走り出す
昭和59年だっただろうか、季節は夏
当時は酒屋などに空き瓶を持ち込むと
1~5円程度ではあるが現金と交換してくれていた
コーラやファンタの1.5リットル瓶は一本で20円
それを何本も見つけた時の少年は
嬉しさのあまり小躍りするほどであった
学校が終わると暗くなるまで住宅街を奔走し
空き瓶を貰えないか聞いて回った
「勝手に持っていくんじゃないぞ貧乏人!」
などと辛らつな言葉をわたを少年に吐きかけ
舌を打ち鳴らし睨みつける人もいれば
見てくれから何かを察したのか
自転車の前かごに入るだけの瓶を分けてくれ
汗だく少年に麦茶を振舞ってくれる人も居た
夏が近づくとカブトムシの幼虫を売り歩いた
当時すでに成虫を扱う店はあったのだが
幼虫はどの店でも売られていなかった
成虫に比べ飼育は簡単であったし
餌代がかからないのも魅力であった
「幼虫いらんで~、カブトムシの幼虫あるよ~」
「幼虫くださいな」「まいど!」
幼虫が売れると餌になる腐葉土もつけてあげた
いずれも近くの山を掘り返せば大量に手に入った
1匹30円だったが飛ぶように売れ
休みの日などは小さな子供が父親を連れて買いに来た
持ち込まれた容器に腐葉土と幼虫を詰めつつ
簡単な飼育方法もレクチャーして喜ばれた
そうして儲けたお金を元手に
小学校内でファミコン買取業を始めたのだが
その話は機会があればまたいつか
ちなみに今日3月17日はわたを(50)の誕生日
懐かしの赤いウインナー入り炒飯でお祝いだ
(フライパンに油をひき、輪切りにした赤いウインナーを炒め端に寄せる。フライパンの空いたところに卵を入れ、その上から白ごはんも入れ全体に混ぜ炒める。刻みネギを入れ塩コショウなどで味付け。フライパンの底が見えるところに醤油を入れ、少し焦がしてから全体を混ぜて完成)
